2011/6/8
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インナーチャイルド 葛野薫 |
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セラピスト養成講座の練習台としての、2度目のインナーチャイルドセッションでした。 最初に見えたシーンは、父が亡くなったばかりで、ひとりで不安に思っているところでした。 家の中に母がいるけど、母は私の事を見ていません。父を亡くして、私に背を向けて泣いています。私は、どうすることもできずに、ただひとりでたたずんでいます。 お父さんもなんで死んだのかわからない、2歳半の私には、わかすはずもありませんでした。 私は、家の中にいるのが好きで、独り遊びをしていました。 おばあちゃんがいて(あんまり存在感はなかったのですが)、お母さんもいました。 でも、皆家にいます。 外へ出ないから、私も家の中で独り、絵を描いたり、本を見たり、積み木みたいなおもちゃで遊んでいます。 想像の国の中でいろんなお友達と遊んでいます。 とても楽しいと感じています。 家の中で、お母さんはいつも泣いています。父の死を嘆いています。 ちょっと離れたところに私はいて、でも何もしないで、どうすることもできずに、自分のことも周りのこともよくわかっていないみたいです。 小さくて、よくわからなかった。 その体験では特に何も決めていないし、様子を見ても無表情で、でもその状況を嫌ではないようで(自分の家なのですから)、よくわからないけど、何もできない感じです。 大人の私は、子供の頃の寂しそうなそのシーンに入っていきました。 話しかけると、黙って頷きます。前回のセッション同様、自分から子供らしくいろいろ話しかけてはくれません。 ウサギのぬいぐるみで、コツコツと遊んでいます。 独り遊びが好きなようで(そうするしかなかったのですが)、ぬいぐるみを相手に、独りで笑ったりしながら、完全に独りで遊んでいます。 自分の世界が確立されているので、私はいなくてもいいように感じました。 想像のお友達と遊んでいるのがしあわせかも、とも感じました。傷つける人もいないので・・・ 楽しかったことは? お母さんと妹と3人で遊びに行ったこと。 遊園地とか、佐渡とか、あちこち。みんなが一緒だから、楽しかった。 嫌だったのは? お母さんが泣いていること。 悲しいのがわかるから。 悲しいのは、よくわかんないけど、いいことじゃないと知っている。 お母さんにこっちを見てほしかった。 子供の私は、母の背中しかみていない。 いっぱいいろんなこと我慢してきたんだろうな、もっと子供らしくはつらつとした子供時代を遅れていたら、私は全然違う子供だっただろうな、と感じました。 もう我慢しなくていいよ、と話しかけました。 でも、その時の自分には、そうすることしかできなかった。 大人の私は、子供の私を見守りました。 うさぎの方ばかり見て、隣にいる大人の私を感じて認識してはいますが、私を見てはくれません。目を合わせないけど、私の話はしっかり聴いていて、こちらからの語りかけにたいしては、素直についてくるけれど、自発的にというのは感じられず、私がはなしかける以外は自分の世界にいます。 私の問題を抱えている感情のありかは、どこかにあるような気もするけれど、銀河がゆっくり回転している様子が浮かびます。 特に何も感じていない様子で、でも「あってもいい」とも思っていて、そう困ってもいない感じです。いろんなことがあってもいいのだと許容している感じ。 本人がしっかりしているので、大人の私は、それはそれでいいと感じました。 ただ、見守るだけでいいと。 子供の私は時々弱く笑って見せたりするけれど、無表情が多いです。 魔法を使って願いが3つ叶えられるとしたら? 子供の私は、迷わずお父さんを生き返らせました。 お父さんが現れた瞬間、とっても喜んでいます。本当に子供らしく、お父さんと手をつないで、ぴょんぴょんはねて喜んでいます。 子供の私は、すべての幸せの要がお父さんだったと知っていて、それが失われたということを受け入れていました。 大人の私は、そのまま、しっかり生きていこうね、と伝えました。 お父さんと一緒にいる子供の私は、「うん!!」と元気に答えました。 私の願いは1つでした。 それですべてがよくなると知っていました。 大人の私は、その様子を、優しく見守りました。 父が生きていたら、私は多分全然違う娘に育っていたことでしょう。 子供の私は、たったひとつの大切な望みを叶えて、笑っています。ただ、笑っています。 喜んで、少しはにかんで。 「そのままでいいよ」と伝えました。 子供の私も、それ以上は特に望んではいないようでした。 最後にハートに違和感がないような感じになったので、セッションは終了しました。 |
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